アフターコロナの住まい予想図
今春、新型コロナの影響で、日本も世界も、状況が一変しました。
私の暮らす京都でも、様変わり。あれだけ宿泊施設が増え、街がインバウンド仕様に変わっていったのに、観光客はぱったり。3月末の大学生のクラスター感染にはじまり、緊急事態宣言の後、店舗という店舗が休業。
緊急事態宣言が段階的に解除され、終息の兆しが見えだした感はあります。一方で、事態が劇的に好転することはないと諦め、緩やかに生活や事業がはじまっていくのではないかと思われます。これまで確実に見なかった風景が、ものすごいスピードで変容していっています。
一年前の京都新聞の取材で、「今は狂乱の京都」と表現しましたが、昨今の京都はインバウンドバブル、まさに泡を吹いていました。不動産も、相当改修費のかかるであろうオンボロ町家が異常な高額で取引され、複雑な思いで眺めていました。
早かれ遅かれ、インバウンドバブルは崩壊し、何も考えずに作りさえすれば儲かる時代は、じきに終わりを迎えていたと思います。コロナ禍の影響で、思いのほか早くその時期がきたというだけで。
住まい予想図片手に語ってみた
私は、不動産プランナーとして、建物のプロデュースを業としています。企画段階から建物完成後の運営まで、プロジェクトの全てを担います。2010年代、シェアハウスやシェアオフィス、一棟の建物内に飲食店やアトリエなど複合用途のシェア型物件を、前職も含め約50棟、気づけば10年以上取り組んできました。シェア型物件というと誤解されがちですが、ワイワイ★パリピの世界だけではありません。
つながりたいときだけつながれる絶妙な距離感を、空間や運営を工夫して設計してきたつもりです。社会関係資本があることが、人を生きやすくする。その時代の社会に必要とされているものを淡々と作ってきた10年間でした。特に、住まい要素のある用途が多かったです。シェアハウスという住まい方は誰にでも受け入れられるわけではないし、そもそも単身者でないと難しい。ただ、家族の枠を超えたひとり同士が、断片的に集まれる居場所を持つ。同一建物内でも、エリア内でもいい。住まい方を工夫することで、これからの不安定な時代を生き抜く支えになるかもしれないと思っています。
コロナ禍の市況をふまえて、2020年4月初旬に、アフターコロナの住まい予想図を描いてみました(もし京都が東京だったらマップの時といい、図式化するのが好きな性分)。
本当のところは、いま、実施しようと進んでいるプロジェクトのクライアントに、「アフターコロナでもやっていけるプロジェクトだ。むしろ追い風なんです」と理解してもらうために、作成したところがあります。
せっかくなのでここ1ヶ月ほど、この予想図をネタに、アフターコロナの意見を聞いてみたい何人かと、話してみました。実家が地主の税理士さん、宿を経営している美術家、カフェと設計業の師匠、移住と求人に強い仲間、建築不動産業の友人たちなど。
各々のご意見は控えますが、予想図の解説とともに、信頼している人たちと話してみた中で、私が考えたことをまとめてみました。
アフターコロナの住まい予想
活用用途は住宅に集中
あれだけ宿泊施設の建設ラッシュだった京都も、一棟貸しの宿がドンドン売りに出されています。先が見えない時期に出店しようとする事業者(特に飲食店)は相当減っています。個人で数百万でも投資するってかなりの負担ですし、もう少し様子を見たいという判断は然るべきです。
オフィスは、テレワークが進むと、駅近で面積の広いオフィスは減っていくでしょう。少なくとも、オフィスの空間・規模をウリにした採用は減っていくのではないでしょうか。
そうなると、活用用途の選択肢としては、住宅用途にフォーカスせざるを得ません。新たに物件を購入する投資家の動きは、スルガ銀行の一件以降さらに減っていくと思います。
ただ、私のお客さんでもある、既存物件を持つ所有者さんはそういうわけにはいかない。いずれ何かに活用しないといけない立場の人にとっては、この緩やかなアフターコロナの世界で何をすべきか考えなければならないのです。
これまで、投資効率があまり良くないとされてきた住宅用途。しかも、たいしてアップデートされてこなかった住宅用途。ここに新しいポテンシャルを見出せると、今後強いと思います。
他には、「住宅×○○」のかけ合わせの可能性。これまでにない全く新しい用途というのはあり得ると思います。
これまで私は、シェア型住居・店舗兼住居など、住宅用途をメインに活動してきて、住宅が人間の土台を作ると信じているところがあります。いよいよ住宅が日の目を浴びる時が訪れたのは、個人的に喜ばしいことです。
不動産価値のものさしが変わる
これまで不動産を測る基準は、交通・賃料・広さ等でした。「人が集まる中心部に、家賃が多少高くても無理して出店する」というのが、テナントの物件探しの鉄則です。しかし、人が集まる場をお客さん自体が避ける傾向になった今、「家賃・人件費などの固定費が増えれば増えるほど身動きがとりにくくなる」という状況に一変しました。1年前は、市街地にタピオカ屋がアホほどできていたとは、想像しがたいですね。
ただ、田舎のだだっ広い敷地が人気になり、急な逆転劇が起こるとは考えにくいですが。たとえば、京都や福岡、長野、神戸とその周縁部は、適度に自然と人があって、大都市にアクセスが良く、独自に商圏が成立するという街は人気になるかもしれません。
仕事と生活が密となり、空間の質が今以上に優先される。否応なしに、自身の一日・一週間の生活を洗い出し、ライフスタイルありきで物件探しをすることになるかもしれません。
集まって食べる日常の場
これが最も言いたかったことなのですが、家にいる時間が長くなると、住環境を充実させたいという動きは、必ず出てくると思います。事実、お菓子作りが人気で小麦粉がスーパーから姿を消したり、八百屋さんは通常時より個人消費者からはよく売れると聞きます。そこで、ダイニング・キッチンを拡充する住宅計画の方向は、増えると思います。
また、単身者の食事情は、深刻な問題です。自炊できない単身者は、外食に頼らないといけないですし。今後も多世代に独身層が増え続けるとは思いますが、誰しも「食事は誰かと食べたい」という感情があるのではないでしょうか。ひとり旅をして、晩御飯だけは屋台で誰かと一緒に食べれたらなぁと思うときのような。なぜかご飯は誰かと一緒に食べる方が美味しいし、作り甲斐がある。何より、「美味しいね」と笑い合いたい。
それが、家族以外で成立するなら、非常に単身者が生きやすい社会になると思います。単身者でなくても、都市はひとり単位がベースですから、ひとりが心地良い空間を追及すれば、みんなが生きやすくなる。
私だったら、数軒のエリアの一部分に共用ダイニングという計画をしてみたいです。コレクティブハウスなどの形態は既にありますが、どうも一般化しなかった(その理由については個人的に研究中)。きちんと運営計画を練って、普通の人のための集まってご飯を食べる場を作りたいです。
無用途一部屋で、家を半パブリックに
最近は、テレビが無いという家庭も多く、テレビからデジタル動画へ進化しています。映像環境は、付いていたら見る大勢の受動から、好むものを見に行く個人の能動と変化。今後は、リビングはもはや不要で、リビング的機能は個室で足りるのかも知れません。
そこで、無目的用途の一部屋にニーズが出てくるのではないかと思います。子育てと離れた環境のリモートワークの場になったり、知人と読書会をしてみたり、他人に貸したり、もしかしたら自分で小商いしようとなるかも知れません。数回飲みに使っていたお金をプラス一部屋に充てる生活の豊かさ。副業の流れも既にありますが、一社に頼ることなく複数収入源を持った方がリスク分散できる時代ではあります。
新たに計画できるなら、少しパブリックなスペースだと良いと思います。これまでの日本は、家の内外で生活にくっきり境界線ができていて、自分のお父さんがどこで飲んでるかも知らなければ、会社の同僚が家で家事をちゃんとやってるのか知らずにいました。家の中で仕事をせざるを得ない、家にパブリック的要素がやってきた今、境界が曖昧になることを受け入れなければなりません。
家族だって他人です。他人との距離をどうとるか。ひとりでいる状態を保ちつつ、他者との関係を分断しない。居住空間に居場所のグラデーションをもっと作るべきではないでしょうか。家でもひとりになれる場所がある。プラス、無用途一部屋をつくることで、生活内外のバランスを再構築する必要がありそうです。
アフターコロナの世界観
消費者から生産者へ
これまで、家のスペースは最低限で、街の中にキッチン機能、リビング機能を持っているのが都市生活者の暮らしだったと思います。上記のように、家の一部をイベントスペースにしたり、お店を開いたり、家の中に都市的機能が戻ってくると、あたらしい都市風景ができますね。
それは、都市を消費する、サービスを受けるだけだった暮らしから、生産する側に回ること。京都は、そういう意味での生産者にシフトしたいという考えから、移住してくる人が多いです。どの街でも成立するわけではないと思いますし、京都は生産と消費のバランスが良いから選ばれているのだと思いますが。そういう人たちは自分の物語を生きてるって感じが漂ってて、接してて気持ちが良いです。
歩いて5分圏内に、小さな1室を持つ職住近接という暮らし方も、あり得ると思います。気に入ったエリアに家と仕事場があると、人間関係もシンプルになります。気の合う人たちと楽しく平和に暮らしたい。ささやかですが大切なことです。
小さな経済圏で人間関係が回る。私は、東日本大震災時はこれがなくて不安でしかなかったですが、私は6年前に東京から京都に戻り、こういう経済圏を自ら作ることができて、本当に心が救われました。
当たり前を疑うきっかけ
たとえコロナウイルスが終息したとしても、コロナで気づいた違和感は元には戻らないでしょう。
東京の満員電車も、乗ることを疑わなかったから嫌でも乗っていたけど、一度乗らない生活を体験してみると、「なんで満員電車乗らないといけないんだっけ?」と思う人は、増えたと思います。
東日本大震災の時も同様に、「なんで東京にいないといけないんだっけ?」という当たり前を疑うところから、首都圏から地方に移住した人が増えました。「なんで、この人と結婚したんだっけ?」と震災を機に離婚した人も、実は増えていました。当時、東京で不動産仲介の仕事をしていたので、人のの心情の変化をリアルに実感していました。
都市の人口集中が無くなることはないと思いますが、限界を感じた人が、さらに地方に移動するという流れは、確実にあると思います。また、特に地方で起業すると感じることですが、直接会えない・直接触れられないなどの地方特有のハンデが少なくなるとは思います。
こういった大ハプニングが起こらない限り、人の暮らしの変革は起きないという事実は悔しいですが、やっぱりそれが現実。身体感覚が変わってしまったことは大きい。違和感にフィットする住まいを提示するチャンスだと思いましょう。
働き方と住まい方をパラレルに
強制ステイホームの後も、何でもかんでもオンラインにしたらいいという話ではなく、先述の通り、やっぱり気の合う人と話したい。たまにはご飯に行って飲みたい。という欲求は誰しもあると思います。そもそも、大勢で飲み会をしたいという欲は、個人主義で育ってきた若い人ほど減っているように思います。「V字回復」、「コロナに負けるな」とよく報道で聞こえてきますが、そもそも若者は、消費第一主義の時代に戻りたいと思っているとは思えません。
今回、対面が不要と判明した物や移動時間削減などは、どんどんスリム化していけばいい。一方で、やっぱり大事だよねという小さな人間関係は維持する。実利と豊かさに折り合いをつけながら、今後私たちは生きていくのではないでしょうか。その際、働き方は働き方で、住まいは住まいで、とか言ってる場合ではなく、働き方と住まい方をパラレルに考えていく時代に、すでに突入してしまっているのではと思います。
建築側へのメッセージ
「世の中が変わると思ってたけど変わらなかった」。3.11の時も、コロナの時も、よく聞いた言葉。日本政治の中枢の動向を見ていると、そう嘆くのは分かります。でも、嘆いたところで、何も変わりません。持ち場持ち場で、やるべきことを淡々とやっていく。それに加え、この不安定な社会で、自分は何ができるか、考えまくって行動する。それに尽きるでしょう。
今回のコロナ禍のみならず、近年、家族の在り方、情報技術や移動コストといった私たちを取り巻く環境は著しく変化しました。一方、受け皿である住まいはさほど変化していません。衣・食・住の中で、明らかに時代の変化に対応した商品を作れていないのが住まいです。日本の多くの人にとって、一人暮らしから結婚したらマンション、郊外に住み都心に通勤・夢のマイホームという住宅双六のような型が、未だに理想だったりします。それは、他の住まい方を提示してこれなかった、我々建築側の責任だと私は思っています。
コロナ禍で暮らしへの意識向上が浸透していってる感はありますが、住宅というハコが無ければ、住むという行動に移せない。本当に変わるか否かは、作る側の我々にかかっています。
今年の2月末、関西中の大学の集まる建築卒業設計展の審査員を務めたのですが、家族や都市の中に、ひとりでも心地良い空間を緻密に設計している作品が目立ちました。みんなで集まるのが全てではない、あたらしい家族像の提案。しかも、建築だけでなく、モビリティや医療など分野を横断して考えている提案。未来は明るく力強いと思いました。
しかし、別日の長老審査員には「君は家族を解体している」と批評されたそうで、学生たちは悔しがっていました。悔しがる必要はない、時代を敏感に読み取っているのは、自分より若い人たちだと理解したほうがよさそうです。
建築は、不要不急ともいえるし、人が生きていくうえで必要不可欠なものでもある。時代に応じて、社会的価値の振れ幅を変えられる。それが、建築の素敵なところだと思っています。
自分が建築の仕事をしている間に、過去に語り継がれるレベルの危機的状況、一斉スタートに立ち会えていると思うと、ゾクゾクしてきませんか。(私だけ?)
そう考えると、アフターコロナの世界は、何も悪い事ばかりではない気がしています。
※この記事は、2020年5月の記事を転送しています。
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