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きょうの街エッセイ〔御陵〕

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曲がりくねった道に誘われて

東西線の駅名の並びの中で、ひときわ高貴な字面の「御陵」。「ごりょう」ではなく「みささぎ」と読ませる音に萌え、さぞかし閑静なところなのだろうと想起させる。御陵(みささぎ)の地名は、歴史の教科書でお馴染みの中大兄皇子(天智天皇) の陵墓に由来する。現在の東西線でも、びわ湖浜大津行きと六地蔵行きの分岐点なのだが、近くには旧東海道が走り、昔から交通の要所だったことがうかがえる。

さて、御陵駅に初めて降り立つ。友人が住んでいるなどの理由がない限り、京都の人でもなかなか訪れない土地だろう。改札を出て地上に上がると、交通量の多い143号線に、昔ながらの居酒屋とチェーンのドラッグストアが横並びする、山科区の他の東西線の駅と同様のあるあるの風景だ。ただ、上方をぐるりと見渡すと、山山山山。四方を山に囲まれたところなんて、盆地の京都でもそうそうない気がする。期待しかない。

路地と自然に満たされる

駅の北側のややカーブした広めの坂道を登っていくと、枝葉のごとく幾つもの路地へと続く。緩やかな下り坂、柿がたわわになる木、きらめく陰と、とにかくそそられるシーンの重なりに、道に誘われるような気分になる。おまけに、小川が街を縫うように流れている。お地蔵さんもあるし、町内の集会所の前には「誰でもどうぞ」のベンチまである。山から降りてきたランナーとすれ違うと、軽やかな挨拶に思わず返事する。山の人って挨拶が当然だから、遭遇すると風がすうっと抜けるような爽やかさが身体に残る。日常にこんな路地があってくれれば、柿も金木犀も蜻蛉も落ち葉も通行人も、季節のおとずれや対話の豊かさを教えてくれるだろう。
住宅も、京都市内の街中とは一味違う余裕を感じる。家に対して庭が大きくとられ、門柱には大谷石が多く使われている、築60年ほどの邸宅たちだ。こういう家に暮らす人たちの玄関先での世間話や、どこかの家で庭師さんが松の木に登って剪定している音のある生活風景を見聴きするだけでも、ゆったりとした気分に浸れる。いわゆる高級住宅地の域に入るが、ツンとした敷居の高さは無い。意外と若いファミリー世帯でも手が届くような物件もあったりする(億超えの時代劇に出てきそうな家もあるわけだが)。そのあたりが、中心部の超高級住宅地とは異なる山科っぽい親しみやすさといえる。

疏水のある健やかな暮らし

永興寺の入り口、琵琶湖疎水の流れる一帯は、緑地になっていて、これが京都中探しても他にない位とっても気持ちが良い。疎水のおかげで下界より体感温度1℃は涼しいし、地元の人しか来ないような秘境味がある。さりげないベンチもあり、自分の庭のような心持ちがする。いっそのこと、御陵に住んだら、ここを第二のリビング的に暮らしてみたい。執筆の休憩や、煮詰まった仕事をここで取り組めば、思わぬ解決策が見つかりそう。目の前には、本野精吾氏の設計した栗原邸があり(非公開)、建築好きなら、栗原邸を対岸からにやにや眺めながら、家から持参したコーヒーを飲むだけで、どのコーヒーショップで過ごすよりも心が満たされるだろう。そう考えると、別に、近くにオシャレカフェが無くても全然、生きていけそうだ。
もっと歩きたい日は、山科陵からぐるっと一時間、疎水と住宅地を回るコースもある。ここも地元の人しかおらず、ある時は、自転車でやってきた上品なチェックシャツを着たお爺さんが、ドングリを一生懸命拾っていた。疎水沿いには金婚式記念など記念樹のソメイヨシノが行儀よく並び、ひとつひとつに誰かの想いが込められている。

駅前にあるパン屋は、グーグルマップで調べてみると、豆乳食パンが有名とのこと。ちょうど食パンを買う日だったので買ってみたら、もちふわの大当たり。見切り品の丸パンをサービスで戴いたのだが、POPには、近所の保育園に卸していると書いてあった。旧道の反対側の住宅地には、ケーキ屋さんが突如現われ、ご夫婦でされている様子。勧められたあおりんごのパイは、酸っぱさが際立ちはっとする美味しさだった。いつも使いのパン屋とたまに使いのケーキ屋の推しがあれば、QOLを上げるにもひと安心だ。

住みたい街ランキングなどの街選びでは、ファミリー向けだったり学生街であったり、街を属性縛りで捉えがちである。でもこの街は、属性なんか関係なしに、散歩しながら考え事をしたり、山の見える家で本を読んだり、自分との時間を大切にする人に似合う街だと思う。午前中によく活動する人なら、お陽さまを浴びながら充足した生活を味わえるだろう。それから、自分が心地良いことに正直で、自分なりの尺度を持つ人が向いているだろう。年齢や仕事は色々でも、そういった価値観で気の合う人が自分の周りに住んでいると妄想すると、ちょっとおもしろい。散歩でいつも見かける人に話しかけてみたら、案外嬉しい出逢いがあるかもしれない。

*この記事はウェブサイト「京都市空き家対策室/Kyoto Dig Home Project」で執筆した記事を転載しています。

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