【家族構成】宮浦健人の父親と母親も長身!兄はプロの道を諦め会社員になった!

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バレーボール男子日本代表で、パリバレーも経験した宮浦健人さん。

破壊力の高いアタックやサーブを武器に、今後の活躍も期待されています。

そこで今回の記事は、

宮浦健人の家族構成!
宮浦健人の父親と母親も長身!
宮浦健人の兄はプロの道を諦め会社員になった!

こちらの内容でまとめていきます。

目次

宮浦健人の家族構成!

宮浦健人さんの家族構成は、両親と兄の4人です。

父親:宮浦浩幸(ひろゆき)さん
母親:宮浦喜子(よしこ)さん
兄 :元バレーボール選手
本人:宮浦健人さん

宮浦健人さんは、家族全員がバレーボール選手というバレー一家でした。

父母も兄もバレーをやっていましたね。父も鎮西出身で、畑野監督の教え子なんです。

引用:number

では、ご家族について、詳しく見ていきましょう。

【バレー一家】宮浦健人の父親と母親も長身!

宮浦健人さんの父親と母親も、バレーボール選手で、高身長のようですね。

父親・宮浦浩幸

宮浦健人さんの父・宮浦浩幸さんは、宮浦健人さんと同じ鎮西(ちんぜい)高校出身です。

元プロバレーボール選手で、19歳でサントリーサンバーズに所属し、背番号13番、セッターポジションとして活躍しました。

父親の浩幸さんは身長約185㎝で、さすがの高身長です。

父親も、宮浦健人さんと同様に、高校時代は畑野監督の指導を受けていました。

椿西高等学校はバレーボールの強豪校として知られており、宮浦親子も優秀な選手として監督から一目置かれていました。

父親は現役引退後、その実績を買われ、鎮西高校でバレーの監督をしていたこともあったそうですよ。

宮浦健人さんは家族全員がバレーボールをしていたので、自然な流れで8歳のころにバレーボールを始めました。

「なんとなく楽しかった」という理由で、そのまま続けることに。

当初は、家族からスパイクが『風船アタックだ』と言われるほど、下手だったそうですよ。

宮浦健人さんより後にきた後輩がレギュラーになるほど、最初はうまくいかなかったそうです。

小学4年生から試合に出場しはじめたのものの、後衛のポジションで、なかなかスパイクを打つことはなかったとか。

当時の監督には、「お前はエースではない」と言われたそうです。

この頃宮浦健人さんは、「バレーよりもサッカーの方が面白そう」と思い、サッカーチームにも所属しています。

鎮西高校の畑野久雄監督からスカウト

小学校6年生のときに、父親の恩師である鎮西高校・畑野久雄監督から、「付属の中学校にバレー部を作るから来ないか」と声をかけてもらいます。

実際に鎮西高校の練習を見に行った際、あまりにレベルが高いので感激をしたそうですよ。

父の母校に入学できることも、嬉しかったようですね。

近隣の中学にはバレーボール部がありますが、人数も少なく、クラブチームに入るか悩んでいたとか。

鎮西中がある熊本市までは片道1時間半かかりますが、毎日通うことになりました。

それまで習い事のサッカーをするか、サッカーがない日は遊びに行くという毎日から一変、バレーボール漬けの日々になります。

小学校を卒業する頃は、まだ身長155㎝くらいだったそうですよ。

父親の恩師・畑野久雄監督から声がかかり、鎮西中学校に進学すると、急に身長が伸び出したとか。

155㎝だったのが、一気に30㎝も伸びて185㎝になりました!

小学校までは155cmくらいで、大きくはなかったですね。ただ、中学に入ってから急に30cmくらい伸びたんです。バレーをやる上では良かったんですけど、急に背が伸びたので成長痛というかヒザが痛かった記憶があります。まあ、父が185cmくらいあって、母も170cm以上あるので遺伝的な要素があったと思いますけどね。バレー選手としては小柄ですけど、兄も180cmくらいはありますし……。

引用:number

このように、一家全員が高身長と言うことが分かっています。

母親・宮浦喜子

宮浦健人さんの母親・宮浦喜子さんも、元バレーボール選手でした。

地元は北九州市で、結婚した後もママさんバレーで活動していたそうですよ。

身長が170cm以上あるということなので、女性ではかなり高身長ですよね。

バレーボール選手として、実力があったのかもしれません。

中学時代から本格的にバレーを始めた宮浦健人さんは、母親のサポートのもと、日々努力していました。

入部したバレー部の部員は2人だったので、鎮西中学校として試合に出場することは出来なかったのもの、練習は怠ることはしませんでした。

朝の6時台には家を出ないといけなかったのですが、母親は毎日お弁当を作ってくれました。

電車で片道1時間半ほどで学校につき、夜は22時過ぎに帰宅するというハードな学生生活だったそうです。

中学は給食がなかったので、お弁当持参だったのですね。

母親は栄養面をしっかり考え、ボリュームたっぷりのお弁当を毎日持たせてくれたそうですよ。

宮浦健人さんの”お袋の味”は、肉じゃがや生姜焼きだと言います。

【バレー一家】宮浦健人の兄はプロの道を諦め会社員になった!

宮浦健人さんには、兄が一人います。

一般人なので、年齢や名前などは明かされていないようですね。

宮浦健人さんは8歳の頃、両親と兄の影響を受けてバレーボールを始めたので、兄が先にバレーボールをしていたことが分かります。

兄は学生時代まではバレーボールをしていましたが、身長もあまり高くなかったため、途中で辞めたとのこと。

現在は、普通のサラリーマンをしているということでした。

家族全員がバレーボール経験者で、宮浦健人さんがバレーをするのは自然の流れだったのですね。

兄は身長が大きくなかったのでバレーは途中で辞めて、今は普通のサラリーマンをやっていますけれども。

引用:number

兄は身長が大きくないといっても、180センチはあるので、一般的にはかなりの高身長です。

ただ、男子バレーボール選手の平均身長は185センチなので、バレー界では小さいほうなんですね。

宮浦健人さんは常にバレーボールが身近にある環境で、家族全員でバレーボールの話ができるのは、心強いことでしょう。

まとめ

今回は、

宮浦健人の家族構成!
宮浦健人の父親と母親も長身!
宮浦健人の兄はプロの道を諦め会社員になった!

こちらの内容でまとめました。

宮浦健人さんは両親と兄の4人家族で、一家全員がバレーボール経験者でした。

両親ともに高身長で、バレーボール選手としての才能も受け継いでいるのですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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