髙橋藍(たかはし らん)さんといえば、バレーボール男子日本代表の人気選手ですよね。
その実力と端正なルックスから、多くのファンを魅了しています。
そんな髙橋藍さんですが、どのような学生時代を送ってきたのでしょうか。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【学歴】髙橋藍の出身小学から高校までを調査!

髙橋藍さんの学歴は、以下の通りです。
小学校:京都市立常盤野小学校
中学校:京都市立蜂ヶ岡中学校
高校 :東山高校
大学 :日本体育大学 体育学部
それでは、一つずつ見ていきましょう!
小学校時代

きっかけは、2歳年上のお兄さんである塁さんの存在だったんです。
当時、お兄さんの塁さんは既に地元のクラブチームに所属していました。
髙橋藍さんは、お兄さんの練習や試合についていく「お供」のような立場だったそうです。
最初は「自分がやりたいから」というより「お兄ちゃんについていきたいから」という気持ちが強かったようです。

しかし、塁さんの所属チームがメンバーが一人足りず、急遽監督に『お前、試合に出ろ』と言われたそうですよ。
親からの勧めもあり、バレーボールを始めることになりました。
小学校のバレーボールにはローテーションがなく、小さかった藍さんはひたすら後衛でレシーブを担当していた時期もありました。
しかし小学5年生の時、お兄さんが中学進学でチームを離れることになったんです。
「兄がいるからバレーをしている」という感覚が強く、1人になったことで続ける意味を見失いかけました。

でも、ご両親や監督の支えもあり、最終的には辞めずに続けることになったとか。
そして小学6年生の時、2020年東京オリンピックの開催が決定しました。
髙橋藍さんは卒業文集に「7年後のオリンピックに出る」と書いたんです。
小学6年生が、こんな壮大な夢を文字にして残すなんて、本当にすごいことですよね。
しかも、実際に2021年の東京オリンピックで日本代表に選ばれ、小学生の頃の夢を現実のものにしたんです。
中学校時代

男子バレーボール部の強豪校として知られており、髙橋藍さんは学区外から越境入学しています。
当時の蜂ヶ岡中は、なんと廃部寸前という厳しい状況に置かれていたんです。
そんな困難な環境の中でも、藍さんは兄の塁さんとともに、チームを全国大会へと導く原動力となりました。
廃部寸前だったチームが全国大会に出場するなんて、まさにドラマのような展開です。

藍さんは中学時代まではあまり身長が高くなかったので、リベロやセッターも経験しました。
兄から「とにかく拾ってくれ」という言葉をかけられた藍さんは、その言葉通り、ひたむきにボールを拾い続けたそうです。
この時期の経験が、後の藍さんの圧倒的なレシーブ力の基礎となったのは間違いありません。
髙橋藍さんは中学2年生の時には全国優勝まで経験していますが、3年生最後の全国大会では、決勝トーナメントの初戦で敗れるという結果に終わりました。
そして、全国大会で優秀選手に選ばれなかったこと、全日本中学生選抜にも入れなかったことは相当悔しかったそうです。
この時の経験があったからこそ、藍さんは「絶対に日本代表になる」という強い意志を持ち続けることができたのでしょう。
高校時代

髙橋藍さんの高校生活は、決して華々しいスタートではありませんでした。
東山高等学校に入学した当初、彼はまだ全国的な注目を集める選手ではなかったのです。
同じ京都府内には強豪の洛南高校があり、髙橋藍さんのチームは何度もこの壁に阻まれました。

バレーボールに打ち込む高校生にとって、春高バレーは憧れの舞台。
その舞台に立てない悔しさは、計り知れないものがあったでしょう。
3年生になった髙橋藍さんはキャプテンを務めました。
「いつかは石川祐希さんのような選手、石川さんを超えるような選手になって、自分も日本代表としてプレーしたい。石川さんが大学でやってた練習を自分は高校でできてるというのが、自信にも強みにもなりました」
引用:日刊スポーツ
その年の成績は本当に素晴らしいものでした。

まず、インターハイでは準優勝という結果を残しました。
全国2位という成績は、1・2年生時代を知る人にとっては信じられないような快挙だったでしょう。
続く国体では見事優勝を果たし、全国一位の座を掴みます。
そして最も印象的だったのが、春高バレーでの完全優勝でした。
なんと失セット0、つまり一度もセットを落とすことなく優勝を成し遂げたのです。

この時の髙橋藍さんの活躍ぶりは、本当に目を見張るものがありました。
エースとしての責任を全うし、プレッシャーのかかる場面でも力を発揮し続けました。
1・2年生時代の悔しい思いがあったからこそ、この瞬間の喜びは格別だったはずです。
そして高校3年生の2月、髙橋藍さんにとって人生を変える出来事が起こります。

なんと、日本代表に選出されたのです。
通常、高校生が日本代表に選ばれることは非常に稀なことです。
髙橋藍さんの実力が既に日本トップレベルに達していたということでしょう。
「次世代のエース」として大きな注目を浴び、バレーボール界の期待を一身に背負うことになりました。

【学歴】髙橋藍は大学2年でイタリアリーグ挑戦が凄い!

高橋藍さんは、日本体育大学体育学部(偏差値48)出身です。
髙橋藍さんの大学時代は、まさに飛躍の4年間でした。

1年生からレギュラーとして活躍を始め、2020年12月の全日本インカレ(大学選手権)では、チームの中心選手として大活躍されました。
決勝では早稲田大学に惜しくも敗れてしまいましたが、日体大を6年ぶりの準優勝に導いたんです。
新型コロナウイルスの影響で多くの大会やリーグ戦が中止になった時期で多くの選手が思うように練習できない中、髙橋藍さんはフィジカル強化に取り組み、体重を約10kg増やしたそうなんです。
この努力が後の成長に大きく影響したのは間違いありません。

そして驚くべきことに、2021年には東京五輪で日本男子バレーの29年ぶりのベスト8進出に貢献。
大学1年生でオリンピック出場って、もう次元が違いますよね。

2年生の終わりごろからは、さらなる挑戦として、大学に在籍しながらイタリア・セリエAのクラブに所属することに。
最初はパドヴァ、その後モンツァで海外リーグにも挑戦されました。
言語や文化の壁は想像以上に高く、シーズン途中合流によるポジションの変化も経験されました。
なんと、リベロとしての起用もあったそうなんです。

これまでアタッカーとして活躍していた髙橋藍さんにとって、大きな挑戦だったはず。
ですが、これが現在の日本代表の主力選手としての活躍につながっているんですね。
2024年には日本体育大学を卒業するも、リーグ戦期間のため卒業式には出席できなかったそうです。
2024年5月には、サントリーサンバーズ大阪との契約を発表しました。
髙橋藍の兄も同じ中学・高校だった!

髙橋藍さんの兄・塁さんも、同じ中学・高校でチームメイトでした。
もともと高橋藍さんは、兄の影響でバレーボールをはじめています。
2学年差なので、高校までは同じ学校で、チームメイトだったのですね。
兄の塁さんは日本大学に進学しているので、大学からは別々の道へ。

結果、日本体育大学が2位、日本大学が3位となり、弟の勝利となりました。
兄の塁さんはもともと、元女子日本代表の栗原恵さんに憧れて、バレーボールを始めています。
そのため、当時から髙橋藍さんも一緒にテレビで観戦していたそうですよ。
髙橋藍さんは小柄ながらも器用で、みるみるうちに上達していきました。
塁さんが引退したあとに、髙橋藍さんがスパイカーになりました。

現在の髙橋藍さんの土台は、このときに作られています。
高校も兄と同じ、東山高校を選んだ髙橋藍さん。

京都の高校男子バレーは強豪校ばかりで、塁さんは春高バレーに出場できませんでした。
その思いを背負い、髙橋藍さんが高校3年生で春高バレーに出場し、全国制覇まで成し遂げています。
「高校時代の自分と同じ1番のユニフォームを着ている藍を見て感動しました。自分が春高に出場できなかった分を背負って戦ってくれたので、本当に誇らしかったです」
引用:日刊スポーツ
兄としても弟の成長に、感無量といった様子でした。

まとめ
今回は、
髙橋藍の出身小学から高校までを調査!
髙橋藍は大学2年でイタリアリーグ挑戦が凄い!
髙橋藍の兄も同じ高校・大学だった!
こちらの内容でまとめました。
髙橋藍さんは高校まで兄の塁さんと同じ学校で、チームメイトだったようですね。
大学在学中にイタリアリーグに挑戦し、日本代表として頭角を現しています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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