処女作『もし京都が東京だったらマップ』を世に出して6ヶ月ほどが経った。
出版の話が来たのが、ちょうど1年前だった気がする。
本は廃版の無い限り売り続けるのだが、
新書は特に売り始めて3ヶ月が勝負だそうで(早く教えてほしかった…)
この先、爆発的に売れる期待は望めないので、
このあたりで振り返ってみようと思う。
物書き素人が本を出したことによる効能を。
きっと私だけではない効能だと思うから。
まずは、本業の仕事の相談者が圧倒的に変わったこと。
詳しくは言えないが、
本を書かなければ絶対お目にかからなかったであろう、
京都の名だたる方々から直接連絡が来る。
今の時点ですでに3件。
これは、このご時世であっても書籍というものがいかに信頼されているかということ。
WEBメディアに出てこういうことはまず無い。
実際、若くて頼りない人が来て残念と思われているかもしれないけど、
それは自身でカバーできることだし、
まず声がかかるというきっかけだけで十分価値がある。
そして、最近芽生えた感情として、
「物事を提言し、かつ形にできる」という位置を社会の中で築けること。
物書きの人は、
未来への視座、過去への視座が鋭く、考察力に優れている。
半歩先の未来を提言できる人も多い。
ただ、「これはこうこう、こうあるべき」ということはいえても、
それを実践するか、実践できるかというと話は別問題。
しかし、物書き本業でなく他に本業がある素人であれば、
提言もしながら、形に落とすこともできる。
これは、実際に『別冊大陽京都特集』で物書きのお二人が対談されていて(非常に尊敬しています)、
「○○があったらいいんじゃないか」という話をされていて、
今ちょうど「○○を一緒につくらないか」と相談を受けている我が身から、はっとしたのだった。
これを理解したとき、すごく腑に落ちたし、
自分の社会の居場所が発見できた気がした。
本を出すということは、物書き素人からすると、
大変な割に実入りは少なく、費用対効果としてはさして良くないことがほとんどだと思う。
だけど、もっと先をみると、価値は十分にある。
出さないかという話があるなら、
出し惜しみせず、次に進むステップとして絶対に、オススメします。
私はもう、書いた内容の70%くらいは忘れています。