「おはようさん。これから仕事か、きばってきぃや。」と、駐輪場で90を過ぎたおじいちゃんに声をかけられ、私の一日ははじまる。
住まいは、京都のなかでも歴史ある西陣で、そこから自転車で東西を走りぬけ、事務所のある元田中へと向かう。早く起きられた日には、中腹の鴨川デルタに自転車を停め、パン通りとして有名な今出川通沿いでパンを買って朝ごはんタイム。読みかけの本を片手に、無条件にしあわせを感じる瞬間だ。
事務所を引っ越してちょうど一年になる。
私は、不動産プランナーというあまり聞き慣れない仕事をしているのだが、建物の所有者から相談を受け、企画し、使う人を募り、管理までを一貫して行うことを生業としている。
事務所の使い道は、依頼主と打ち合わせが主なので、普通の不動産屋さんのように人目につきやすい場所である必要は無い。むしろ、場所を扱う仕事をしているのだから、自分なりに場所に意味がある事を大切にしたかった。
そこで、京都の新しい文化の発信圏である左京区にしてみようと考えた。よりによって選んだのは元田中。昔、治安が良くないとされていた地域だ。市内出身の親に事後報告したら、あきらかに引かれたことをよく覚えている。しかし、今では、可愛らしい平屋が安く売られていたり、ゆるく日替わりカフェをやっている人がいたりと、昔のコワイと今のカワイイのちょうど変換期にきている。私には、その混沌さが魅力的に映り、この街に事務所を構えようと決めた。
そうすると、近所のカフェを営む夫婦が家の相談に来たり、ギャラリーかと思って絵画収集家のおじいさんが入ってこようとする。
欧米系の外国人も多い地域で、イギリス人の大工兼ピアニストと仲良くなったことがある。祇園のジャズバーでセッションのホストをしているそうで、私がジャズサックスを吹けると知ると、「レッツセッション!」を軽やかに命じられた。一瞬迷惑に思えたが、そんな機会でもないと練習しないのでありがたく、最近鴨川に行っては猛特訓している。
ガラス張りの窓から見える景色は気さくで温かくて、俗にいう治安って何なのだろうと考えさせる。
同じ京都でも、家のある西陣でこんなことがあるかと言われれば、ほとんど経験がない。西陣は、長らく産業と商業の中心地として京都を支えてきた。その歴史背景がそうさせるのか、元来の職人気質がそうさせるのか、気さくに声をかけるというよりは、よく人を見て判断されることが多い。ちなみに、さすが世界的織物の地だけあって、西陣のお年寄りはとってもお洒落だ。朝方挨拶するおじいちゃんは、ちょっとそこまで出かけるときも、ハットを被りきちんとした身なりをされている。
挨拶を超えて、土足で私情に踏み込むむような会話はしない。そんなピリっと背筋の伸びる街に住んでいる若者であることを、誇らしくさえ思う。
最近、『もし京都が東京だったらマップ』という妙なタイトルの本を出版した。
たとえば、京都の四条大宮は東京でいうところの赤羽、京都の岡崎は東京でいうところの上野…という具合に、京都の地図の上に東京の似た街をプロットして地図に表したものだ。そんな本を出したものだから、「どの街が一番良いと思いますか?」「京都に住むならどこがおすすめですか?」といった質問を受けることがある。答えになっていないのを承知で言うが、良いかどうかは私が決めることではない。
人間と同様、街には良し悪しという正解は無いと思う。しいていえば、京都には西陣も元田中も、他にもたくさんの多様な個性があるから、京都が好き。さらに付け足すと、東京こそ多様すぎる街だからあれほどのパワーがあるわけで、東京も好き。
好きになるには、歩いたり、暮らしてみたり、体験すること以上のものはないと、身をもって思う。
※平凡社文芸誌「こころ」vol.34に寄稿したエッセイです。