選挙と森達也

選挙の投票日、毎回脳裏に浮かぶ顔は、候補者ではなくなぜか森達也だ。

政治的発言を少なくともテレビではしていないはずだがなぜか浮かぶ。

そして、今回は朝投票した足で、彼の話題作『FAKEを観に行った。

森達也らしい、何ともモヤモヤが残る読後感。
まるで、この映画自体が真実か否かを観客に突きつけているよう。

でも、選挙の日に私が本能的に求めているのはこのモヤモヤなのかもしれないと思った。

自分が見ているものの何が正しいか、正しくないのか。
それくらい、自分で責任持とうよと思う。

個人的には、選挙に行くも行かないも自己責任だし、
思ったより投票率が低ければ連帯責任だと思ってる。
だから、この前のような、直接選挙で選んどいて(自分が票を入れてなくても)
重箱の隅をつついて批判して降ろさせたい気持ちがよく理解できない

幸い、私は親や環境に恵まれていたのか、
人を自分のものさしで観ることをよく評価してもらう。
それが一番嘘がないし言い訳できないから。生きやすい。

―世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい―

前のブログのタイトル、
実は森達也氏の本のタイトルから拝借している。

みんなが選んだ事実は変えられない。
絶望的になって文句言っても何も生まれないから、
せめてもう少し自分を信じてみたい。

この選挙が終わった時の世のあーあ感が私はとてつもなく嫌いだ。
すべてはこれから。

そして選挙が終わった日に森達也を思い出したくなる理由が、ちょっと整理できた気がする。