部活の顧問

昨日テレビで、学校の部活を土日休みにするか、文科省で検討しているというニュースがあった。
顧問への負担が多すぎるということが問題視されている。

私は、この手の話があがるたびに、どうしても高校の部活がよぎる。
私の高校の部活は、府内屈指の吹奏楽部。
開校から15年連続金賞という強豪校だった。
私自身、青春時代の100%を部活に注いでいた。

それまでずっと牽引してきた顧問の先生が異動になり(公立では長かった方かと思うが)、
私の入学と同時に新しい先生になった。
しかも、吹奏楽ではなく合唱の専門の先生だった。
その頃、その先生は40半ばぐらいだっただろうか、
クラスは違ったが、私たちの学年の担任でもあった。

前任の功績からプレッシャーは相当なものだったと思う。
うちの高校に赴任してから離婚したとも聞いた。
そりゃあそうだ、休みは盆正月のみ、7時から朝練、終わるのは22時。
楽曲を勉強する時間も要るし、プライベートなんてあったもんじゃない。

先輩達からの先生への侮辱は激しかった。
女子高生だらけで、おじさんひとり、
精神的にも本当にきつかっただろう。

結局3年間、私たちと先生は、最後まであまり溝は埋まらなかった。
そして夏の私たちの最後のコンクール、事件が起きる。

銀賞だったのだ。
連続金賞が途絶えた瞬間だった。

ものすごく悲しくて、私は京都会館のピロティで最後まで号泣していたが、
先生にとってもものすごく耐え難い経験だったと思う。

この話にはその後がある。
コンクールの後、先生はどこかに消えてしまったのだ。
学校ぐるみで色々捜索もされたが、
結局私たちの卒業式まで姿を現すことは無かった。

マンガみたいな半年の出来事。
当時は、一緒に戦ってきた人に裏切られた気持ちもあったし、
許せなかった。認める心の余裕もなかった。
もともと、先生はガラスのような繊細な心の持ち主で(音楽家だし)、
精神的に強くなかったこともあったと思う。

今だったら、「まぁ逃げたくもなるわな」と理解することはできる気がする。
教育者としてはあるまじき行為だし、
自分だったら絶対に逃げないけど。理解はできる。
先生だってそんな完璧な人間じゃないし。まだ若かった。

ただ、私たちの部活で、ひとりの人間の人生を狂わせてしまった。
それだけは事実。
なんとなく、その責務というか、
もっとうまく出来なかったのかなというしこりは、未だに少しある。

あの惨事は、
先生にとっては、取り返しのつかない過ちだし、
私たちにとって、ぽっかり穴の開いた出来事だったし、
後輩からしたら、部活生命に関わる出来事だった。
誰にとってもアンハッピーな結果を迎えた。

そう思うと、昨今の休日部活問題は、
やっぱり先生を普通の人間として尊重することが、
部活に励む生徒にとっても必要なんじゃないかと思う。

もうあんな想いは誰にもしてほしくないから。