鴨川デルタを北に上がったところで、毎日のようにカラスに餌をあげるおばあさんがいる。私は、カラス遣いおばばと愛をもって勝手に呼んでいる。
カラスも頭が良いのでおばばが到着した瞬間、あり得ない数とスピードで群がる。しかしすぐあげるわけではなく、10分くらい勿体ぶってから、桜の樹の下にパン屑を放り投げる。それはさあぁっと美しく。あり得ない数のカラスが一気に取りに来て空の彼方に消える。おばばもその一連の行為を終えると、何事もなかったかのようにその場を去る。身なりが決して良くないような人だが、毎日(かは分からないが)それを生き甲斐にしているように、対岸から眺めていて映る。
人は誰しも少なからず承認欲求がある。相手が人じゃなくてカラスであっても、あれだけの数が自分を必要として待っててくれているとなると、自分の居場所を感じるだろう。老いるとなおさら。歩いているオバサンから暴言を吐かれているように見えたが、そんなことは気にも留めない様子。他の全てが絶望的だとしても、鴨川にカラスが居る限り、おばばの心は満ちきっている。のかもしれない。