岸本千佳の自叙伝的プロフィール

誕生~小学校
京都とは言いがたい、海に囲まれた舞鶴でのびのびと育つ。
夏休みは読書感想文に命を懸けていて、選ばれる感想文を書くために本を読み直すような、あざとい小学生だった。
小学5年生の時に小学生新聞で、ガウディのサグラダ・ファミリア教会に出会い、これだ!とピンと来てから、将来の夢は建築家一筋。

中学校
宇治市内に転校。京都の文化圏になじめないストレスで、顎関節症になる(今も治らない)。
勉強はこの頃が一番できたが、一番記憶にない学生生活。自分が出せていなかった。

高校
第一志望の高校に落ち、地元の高校へ。建築を学びたいくせに、学力的に文系への矛盾を抱えて進学。
部活で吹奏楽に出会う。パートは目立ちたがりの代表格、アルトサックス。正月しか休みのない強豪校で、高校の思い出は9割部活。伝統を引き継ぐことの怖さを知り、社会人になってもトラウマに。
ろくに勉強をせず、かといって、建築をあきらめきれず、自動的に浪人へ。

浪人
予備校では、友達をつくらず勉強しかしないという二浪オーラを装っていたにもかかわらず、かけがえのない仲間を得てしまう。
建築志望と学力の矛盾から、数三・物理より絵の実技に賭け、画塾にも並行して通う。少ないルートでなんとか、公立の建築学科に合格。

大学
のびのびした湖畔の環境で、思う存分建築を学ぶ。田舎で刺激が少ないことが辛く、在学中に世界一周、地中美術館のボランティア、竹明かりのまちづくり手伝いなど、学外で大いに学生の身分を使いこなす。
学内でも、建築関係者に講演してもらい書籍化するプロジェクト、シャッター商店街でライブハウスを運営するプロジェクトなどをし、動いてなんぼの大学生活。
リーマンショックもあり、就活が行き詰まり、ひとまず宅建だけ取得。大学卒業時「就職未定1名」に。

東京会社員
「新卒お断り」とわざわざ書いている会社に捨て身で飛び込み、5月からリノベーション会社に勤務。自分以外、全員リクルートのトップ営業マン出身で、相当な負い目のあった1~2年を過ごしながら、毎日渋谷の道玄坂で泣きながら、自分なりのリーシング術を獲得。
社外では、シブヤ大学などでたくさんの気の合う仲間ができて、東京生活はわりとエンジョイ。当時、リノベーション会社はほとんど渋谷で、業界の諸先輩方に年下ポジションで大変お世話になる。そのなかで、「地元が京都なのに、なんで帰らないの?」と再三言われ、京都が気になりだす。
京都って素材(建物)が魅力的だし、ブルーオーシャンだし、私でも活躍できる余地があるかもしれない、と仮定しだす。

京都独立準備
京都は人脈が大事かろうということで、堀川団地の入居者兼使い手のコンペに応募。東京でも転職活動をして、どっちか受かった方に人生を委ねようと思ってただ、まさかの前者で京都に引っ越す。
準備期間に京都移住計画の代表に出会い、職住で組みませんかということで、何となく京都でもやっていけそうという勘違い。
京都に帰ってきたばかりの時は、東京ルールが京都では通用せず、帰ってきたことを後悔していたが、7ヶ月目あたりから、公私が混じる京都の独特の仕事の仕方がフィットし出して、途端に面白くなる。ちょうどこの頃、Eテレの「人生デザインU29」に出演した際、肩書きがなくて大変な目に遭ったのをきっかけに、「不動産プランナー」という造語を作って名乗り出す。

独立後~現在
2016年に法人化、人生デザインU29出演。2017年『もし京都が東京だったらマップ』がバズり、書籍化。2018年セブンルール出演。2019年『不動産プランナー流建築リノベーション』出版。書籍出版とドキュメンタリー出演が交互に登場するラッキー年は終焉を迎え、いよいよ本腰を入れ、2020年ご縁のある西陣に小ビルを購入。ようやく地に足がついてきた気がする。
企画は全国で、仲介・管理までは京都市内を中心に行う。思ったより京都が肌に合っていて、何よりこの仕事が肌に合っている。
(つづく)